22歳の僕はメキシコで大人の階段を堕りたのだった。現代令和小説の新生が綴る勇気と友情(アミーガ)とコーヒーの物語。
著者 猪ノ森典恵(Norie Inomori)
VDアミーガ マリア
アグアスカリエンテス
僕は22才でそのときボーイング787のシートに座っていた。 ヴヴヴイーーーーン… 鳴り響く最新式のジェットエンジン音が下の方から盛り上がってくる。 窓の外、遠くなっていく成田空港を眺めながら、不安を打ち消すために、これから会えるだろうラティーナ達の濃厚な匂いを夢想しながら目を閉じた。 「お疲れのところ失礼いたします。JALのオリジナルコーヒーはいかがですか?」という声が何度か遠くで聞こえたような気がした。 メキシコシティ空港に到着。回っている自分のスーツケースを受け取るのももどかしく、俺にとっての神アプリ「ティンダー」を起動。やれやれこれがなくては始まらないんだ。あたくしの場合はね。 空港にあるWiFiで、事前にコンタクトしていたアミーガにメッセージを送る。 「Finalmente llegué a México. a comer algo.(やっと、メキシコに着いたよ。ご飯に行こう。)」 ラテンアメリカ美女への初めてのお誘いはかなり緊張するが、それを上回るぞくぞく感に期待を膨らませて返事を待つ。大学を休学してまで掴んだこのメキシココーヒー留学というチャンスを最大限に楽しまなくちゃな。 今夜は楽しい時間になりそうだ。 約束の時間。 「Buenas noches (こんばんは)」 長い黒髪に珈琲色の肌、そしてずっと夢見ていた大スズメバチのような素晴らしい身体の女の子がウーバーから降りて、目の前に現れる。からっとした太陽のような笑顔がよく似合う。 これまで日本では嗅いだことがない甘い匂いにクラクラして頭がうまく回転しない。 それでも平静なふりを装って、運転手に街の中心街に向かわせる。 入ったのはイタリアンレストラン。ワインを片手にピザを食べる。 「Que rico, ¿verdad?(美味しいね)」なんてたわいもない会話をしながら、頭はお店を出た後の事を考えている。 俺ってやつはと思いながら、それでも理想のデートに少しでも近づけたい。それが俺だから仕方ない。 「¿Qué hacemos después?(この後どうする?)」 美女から突飛に発せられた質問だった。 お店を出たら、夜の公園に行って、雰囲気が良くなったところで… と、ちょうど考えていただけに一瞬言葉に詰まる。 「Mmm, nos vamos al parque, ¿como ves?(ん…、公園でも行こうか。)」 考えるふりをして切り出すと、会った時と同じ笑顔で頷く彼女。 愛おしく思いながら、店を後にする。 サンマルコス公園へ向かう途中、そっと彼女の手を取ってみた。反応は悪くなかった。 そのまま手を腰に回してみる。まだいける。不安が期待に変わる。 公園について、ベンチに座るとジンクスの話になった。 ーこのばら売りの少女像の前でキスをすると、永遠に結ばれるらしいー そんな「生涯の愛」や「理想と現実の区別がつかない人が作ったような話」を信じる訳ではないが、その話をする彼女の柔らかい身体の触感があるので問題はない。 「Oye, ¿si lo crees? (ねえ、信じる?)」と聞く彼女の口をそっと塞いでみた。 ちょっとびっくりしたようだったが、拒否はされなかった。 そのまま時間は流れる。日付が変わると少し肌寒くなってきた。 この時間を名残惜しく思いながらも「Pues… ¿ya nos vamos? (そろそろ行こうか)」と切り出す。 彼女は「Si, ya es buena hora para regresar.(そうだね、そろそろ帰るね)」といった。ウーバーを開いて、「¿A dónde vas a regresar?(どこに帰る?)」と聞くと、 「Pues para hoy hasta aquí. Me voy a mi casa. (今日はここまで。自分の家に帰るよ)」と笑いながら言う。 「Qué pena. (残念だなあ)」と冗談ぽく言うと、「Nos vemos pronto, ¿vale?(また遊ぼうね)」とまたあの笑顔で言うのだからずるい。 今回はおとなしく彼女の言う通りお家まで送り届けて帰路についた。 それから数日間、スペイン語の勉強がてら、やりとりを続けた。 次に会えるのは金曜日になった。 それからの時間はとても長く感じた。 待ちに待った当日。パンプアップさせた身体に、 ちょっとだけ気合いを入れて服を選ぶ。香水を振りかけて準備完了。 この間と同じように、バリオから出てきてもらう。 情けないとは思いつつ、これは治安があんまり良くない彼女の住む地域に行くのがまだ怖いと感じているから。 今日は、プラザのクラブに向かうと言うこともあって、美しい彼女の雰囲気も違って感じた。少し肩を出して、ミニスカートを履いている。唇も前回より真っ赤だ。後から知ったことだが、メキシコ娘がスカートを履くことは珍しいらしい… クラブの前には大柄の身体をした警備員たちがいて、身分証をチェックされた。 入場料を払って、そのままメキシカンビールを買う。 「¡Salud! (乾杯!)」 乾杯をしてあたりを見渡す。まだ続々と人が入ってくる。 流れる音楽もまだゆったりとしていた。 部屋が人でいっぱいになった時、顔を近づけなければ彼女の声が届かないくらいには盛り上がってきていた。 ビートに身を任せて身体を動かす。なるほどラテンポップは愛の歌が多いと気づく。 ーComo tú te llamas, yo no sé 君の名前がなんて言うのか、俺は知らない De donde llegaste, ni pregunté どこからきたのかは聞いてもなかった Lo unico que sé, es que quiero con usted 俺が知ってるのはただ君と一緒にいたいってことだけだ、 Quedarme contigo hasta el amanecer. 日が明けるまで一緒にいよう。 歌に合わせて口ずさみながら、彼女と腰を合わせて踊る。 2人ともほろ酔いになってきて、目と目が合った。 そこにはもはや恥じらいなんてものはなく、そのまま口づけを重ねながら頭をよぎったのはこんな曲だった。 ~ダンスフロアに華やかな光、僕をそっと包むようなハーモニー~ いい雰囲気のままクラブを出て、同じようにウーバーを呼ぶ。 「¿y hoy? ¿A dónde vas a regresar? (今日は? どこに帰る?)」と意地悪に聞いてみる。 「No manches. (ふざけないでよ)」と彼女は笑う。 「Es mentira. (嘘だよ)」と笑いながら、運転手には家の近くのラブホテルまでと告げた。そうここメキシコにもLOVEホテルがあるのだ。 ホテルに着いた。拒絶されたらどうしようかとも考えたが、心配の必要はなかった。 少し恥ずかしそうにしながらも、腕を組みながら部屋まで向かった。 ベッドに座って少し難しい哲学の話しをすると、また目が合った。 そっと電気を消して肌が触れる。僕は大きな大きな彼女の乳房をコーヒーを入れるときのドリッパーを思い出しながら慎重に適切なスピードで愛撫してみた。 聞こえるのはシーツの擦れる音とベッドの軋む音。それは僕らのドリップタイム。 静かな部屋では彼女の吐息までよく聞こえた。いつしか部屋中に芳醇で、マンゴーのような匂いが広がっていた。意を決して突起したコーヒーチェリーを口に含んでみた。すごい、これは僕が追い求めていたスペシャリティコーヒーなのかもしれない。 朝。差し込む光に目が覚める。 こんなに清々しい気持ちの日はなかなかない。 彼女の世界で一番美しい寝顔を覗き込む。まだ起きそうにない。 今日はゆっくりしようと、幸せな気持ちに包まれながらそっと彼女の横に入って二度寝をする。 次に起きると彼女はメイクを終えていた。 「Ya estabas despierto.(起きてたんだね)」と声をかけると、 「Si, pensé que estes bien dormido y no te puedo despertar. (うん、気持ち良さそうに寝てたから起こしちゃ悪いなって思った)」と応える。 おんなじことを考えていることに少し笑えた。 そして僕はもうコスタリカFincaLasLajas農園のコーヒーが飲みたくなっていた。 つづく
※ コスタリカFincaLasLajas農園 ラムレーズンやドライフルーツをアルコール漬けにしたような甘く芳醇なフレーバーが特徴的です。チョコレートのような後味が長く続きます。