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プラハの写真家族 by 横山佳美

横山佳美
1975年鹿児島生まれ。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。大学時代写真部に所属、カメラアシスタントを経験後1998年から主にファッションやカルチャー誌にてフリーカメラマンとして働き始める。2005年チェコ国立芸術アカデミー写真学部入学、途中退学。2010年シレジア大学哲学部写真インスティチュート卒業。現在ヨーロッパを中心に様々な雑誌取材や撮影、また雑誌やテレビ、ラジオなどの撮影コーディネイトや通訳などに従事。銀塩写真家として日本を含む国内外で個展多数。著書に『愛しのプラハへ』がある。
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今回,友人である笠原敬太さんよりチェコレポートのご依頼を頂いた。笠原さんとは※Ch11′S(チャンネルイレブンズ)の活動を通して知り合って、すでに20年来のおつき合いになる。私がチェコに暮らして13年になるということで、「チェコの生活のことを何でも」という感じで宿題を頂き、特に具体的なテーマをちょうだいしたわけではないので、私の方でもざっくばらんに、笠原さんと遊んでいた頃のノスタルジーに浸りながら、ざっくばらんに書いてみたいと思う。
※ Ch11′S(チャンネルイレブンズ)は90年代に渋谷、青山、西麻布のナイトクラブを中心に写真活動を行っていた10代20代を中心とする緩やかな写真グループ。 吉祥寺パルコ、熊本パルコ等で写真展を開催する。

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チャンネルイレブンズは1990年代後半、当時ティーンエイジャーをついこの間卒業したばかりのうぶな私にとって、それはそれは楽しそうな事をやっている東京的な集団に見えた。私はその集団に直接所属していたわけではないけれど、彼らの企画するイベントやパーティー、コンサート、討論会、様々なテーマを持った活動は、90年代の東京的な引力と、少しの不真面目さの点で、地方生まれ地方育ち・まじめ一本だった私には、まさに憧れの存在だったように思う。そうこうしていると、彼らが「未来テレビ」なるテレビ局を運営し始めた。「テレビ」というと地方出身の少女の私には「マスメディア」、しかも「メディア」というより「マス」という大きくてダイナミックは得体の知れない存在で、当時の若者の不安や期待、ぴりぴり、ざわざわとした世の中の静電気的な空気を背景に、なんだか面白くて「大きな」事が出来る様な、漠然としたワクワクを感じたものだった。
※ 未来テレビは写真には写らないものを、映像とメディアで作ろうとインターネット前夜の20世紀末、21世紀初頭に衛星放送のチャンネルを利用して放送していた自主制作テレビ局、その後NPO法人未来テレビとなる。
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イレブンズのメンバーも、また、うぶながら当時の私も、90年代特有の焦燥感と疾走感というかスピード感を明らかに抱いていて、私にその時代の波乗りの仕方を教えてくれたのが彼らイレブンズだった。時代の波に乗ると言うと、有名になったり、成功したりという響きがあるが、特にそのような意味ではなくて、時代の波にはじき飛ばされる事なく、いかにその渦のなかに抱かれて遊ぶことができるかというくらいの意味だ。
優等生で胸を張っていることが、嘲笑の対象になってしまう様な、時代の複雑な価値観のなかで、心軽やかに飛び石をポンポンとわたっていく身のこなしがないと、すぐにおいてけぼり喰わされそうな、そんな時代だったように思う。
即興ダンスの出来ない私・・・。
もちろん「即興ダンス」とは、実際的な踊りの他に抽象的な身のこなしと言う意味が大きいわけだが、90年代後半、都会の遊びの輪に入れてもらうために、田舎っぺの私がまず克服すべきと思ったのはそんなテーマだった。
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前置きと、浸りが長くなったが、それから10年の後、私はチェコに渡る。
現在チェコに来て早13年、今でも私の波乗りは続いているが、90年代に身につけた「即興ダンス」の処世術がずばり生活のベースになっている。海外では(どこの国でもそうだろうと思うが。)即興ダンスが出来ないと楽しい生活・成果は得られない。海外で必要なものリストがあるとすれば、パスポートや現金の他に、柔の心、笑顔でノーと言える強さ、ゆらゆら体操、強い肝臓、チェネリング能力など、そんなことしか思い浮かばない。私は現在おもに写真家として活動しているが、東京で身に付けた「即興ダンス」のおかげで、今まで、チェコ人の輪の中でずいぶんと楽しい経験をさせてもらった様な気がする。私が写真家として撮影してきた、いわゆる「いい」写真はほとんどは、東京仕込みの波乗りと即興ダンスの過程で獲得したものだと言っていい思う。
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具体的に少しチェコの事を話そうと思う。
チェコはヨーロッパの中央に位置する文字通り、中欧の一国である。チェコ人はチェコを東欧と言われる事をいちばん嫌う。その理由には政治的な背景があり、ソ連侵攻後に西側・東側(共産圏)として地理的な分類ではなく、政治的な関点から「東欧諸国」としてカテゴライズされた屈辱的な時代を思うからだ。また、ヨーロッパの真ん中、おへそとして位置してきたチェコには太古の昔から、民族移住の対象の地・移動の通り道(ケルト人、フン族、ゲルマン人など)としてチェコ人ではない周辺民族や国家の干渉に常にさらされている状況を日常的に経験してきた。常に臨機応変に対応せざるを得ない切迫した状況をくぐってきたからこそ、チェコ人はまさに即興ダンスの達人だ。
「明日から神聖ローマ帝国の一員ね。」とか「明日からカトリック信仰しか認めませんからね。」っていう価値のオーバーターンが歴史のなかで繰り返し、唯一無二・普遍と思われる価値観が、実際は儚いものだということを肌で知っているからだ。刻々と変化する状況のなかで、どのポジションに着地したいか、どの立ち位置を確保したいかによって、踊りの内容も違ってくるだろうが、臨機応変、インプロヴィゼーションの能力は、いずれにしても瞬時に発揮されなくてはならない。昨日の信条などかなぐり捨てて、踊り出さなくてはいけない。だからこそ、チェコ人の年季の入った即興ダンスには、洗練されたシャープな美しさがあるように思う。
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私自身の自己紹介を怠ってしまったので順番を取り違えたが、少しだけ紹介させて頂きたいと思う。大学に入学し、カメラマンを志し、卒業後東京で5年ぐらいカメラマンをして、10年間貯めたお金でチェコの国立アカデミーの写真学科に留学、息抜きの2年間を過ごしに・・・これが私がチェコに来たざっくりとした経緯である。東京での10年とチェコでの10年の写真家としての活動を通じで、チェコや日本で個展をする機会も頂いたが、写真家としてある以前に、チェコで生きている上で、私のなかには生活者であると言う意識が常にある。私がチェコに来たのは2005年、共産主義が終わって16年後のチェコだ。来た当時は日本では感じる事の出来ないいわゆる「東欧諸国」チックな雰囲気、景色が残っていて、もっと早くくればもっと共産主義の特異な残り香をかげたろうにと思うのは、チェコ人の心情を無視した大変失礼な感じ方だが、それでも共産主義時代から続く商店や団地の風景、官僚主義・お役所主義的な態度、ものの考え方、振る舞い方、イナタイ服装、またメーテルのような毛皮の帽子の人など、写真的に心躍る「希有」なものをいたるところで目にする事が出来た。日本人の私にとっては、ある程度の興奮を持って心地よくシャッターを切れた幸せな10年だったように思う。
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2017年現在、13年で私が目撃してきた町並みや人々の営みは、想像を超えると言っていいほど大きく変化した。チェコ人にとっても、これほどの変化は予期していなかったように感じる。隣の大都市ウィーンやベルリンとはいかないまでも、外国資本の流入と、EU諸国で最小を誇る失業率に裏打ちされた景気の良さは、街を歩くと肌で感じる事が出来るほどだ。革命を経験していない若い世代が、すでに世の中に働き出すようになって、お金にある程度余裕のある幸福世代が、街全体の雰囲気を明るく彩っている姿がまぶしい。
だが、それに伴って分厚い毛皮のなかにずっと隠されていたチェコ人の即興ダンスの能力もすこしずつ変わってきた様な気がする。私はストリート写真を主に東京とチェコ・プラハで20年以上撮影しているが、しましま・ストライプのブッチャーズボン(チェコのお肉屋さんが着る定番服)をはいたおじさんのいるお肉屋さんが、いつのまにかEUファッションショップに、ローカルが通う老舗のこじんまりしたカフェがスターバックスに変わっていくなか、石畳は依然としてそこにあるが、その表面に夕焼けを映し出す緩やかなカーブが消え、水たまりもまた姿を消した。チェコ製(中東欧で走っているトラムはほとんどチェコ製)トラムのデザインも、最新型はポルシェデザインに変わった。13年しかいたことないくせに、数十年来の古株の様な言い方だが、東京仕込みの私の即興ダンスがここ数年なぜかうまく踊れなくなってきていることが、街の変化とチェコ人の即興ダンスの変化に呼応している様な気がしてきてならないのである。どちらかと言うと、今までは時代特有の、またその土地特有のダイナミズムや風土に合わせての即興だったのが、今はどちらかというと没個性的な、グローバル化の流れのなかで、ダンスというより直線的な歩行が求められるからだろうか、最近、グルービーに自ずと体がゆらゆらしてくるあの、スイッチの入る瞬間がいつまでたってもなかなか訪れない。平和的なロンド(円舞)から手を離しても、そこでまた新しい踊りの輪が生まれるあの安心感を長く感じる事が出来ない。少し年を取って息切れしてきただけならいいのだが、プラハの石畳と瓦の屋根並みが少しずつ平坦になってきたように、私たちのダンスも少しずつ平坦になって、街からゆらゆらをうながす風が薄らいできている気がしてちょっと寂しい。
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そうはいってもプラハは今でもため息の出るほど美しい希有な街だ。おしっこ臭いバックストリートをまがると、バロックの珠玉といわれる荘厳で美しい教会が見える、そんなナイスな街だ。即興ダンスの舞台としては決して文句はいえないステージだ。この愛おしいプラハが、プラハらしく懐深く、排他的に、気難しく、街としての個性を失わないように願いながら、私もこの土地に根付いた1人として、現在のプラハにそっぽをむかれないような新しいダンススタイルを探している。